D.Takada

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ヤスミナ・カドラ「テロル」

f:id:highground:20150701161012j:plainアルジェリア出身の作家ヤスミナ・カドラの2005年の作品。


正直に言うと、この作品を手に取るまでは、この作家のことを殆ど知らなかった。

まず、本を手に取った時に興味をそそられたのは、著者のバックグラウンドだった。

彼は、アルジェリア軍の将校をしながら覆面作家として活動をしつつ、後にフランスに亡命して作家になったという異色の経歴の持ち主である。


アルジェリアといえば「異邦人」で有名なカミュの出身地でもあるが、1962年まではフランス領だった。

フランスから独立を勝ち取った後も境界する隣国との紛争も経験している。

そして、国民のほとんどがイスラム教を信仰している(ほとんどがスンニ派といわれている)

イスラム過激派による軍事行動の舞台になることもおお、日本人も犠牲になった人質拘束事件なども記憶に新しいところだと思う。

詳しい経歴は分からないが、ヤスミナ・カドラも軍に従事していた時には過激派と相対した経験もあり、そういった実情を身を以て体験しているはずである。


 本題である小説の舞台は、イスラエルパレスチナである。

物語は主人公であるアミーン・ジャアファリ医師の一人称で展開してゆく(何故か裏表紙ではアーミンとなっているが)

彼はアラブの遊牧民であるベドウィンをルーツに持っているが、イスラエル帰化して外科医として勤務している。

妻と二人で幸せな家庭を築いていたが、ある事件をきっかけに二人の幸せは終わりを告げる。

爆弾テロで妻が死んだのだ。

現実を受け入れられないアミーンに追い打ちをかけるように告げられたのは、彼女がこの爆弾テロの実行犯

だということだった。

混乱して自暴自棄になったアミーンはしばらく現実を受け入れることが出来なかったが、ある事がきっかけになり事件を受け入れる。

そうしてアミーンは、何故彼女がこんな行動に走ったのか、理由を探しに彼女の行動を辿る決意をするのであった。


物語の前半部分はこういった内容である。

この先に書くことは少し内容に抵触します。



まず主人公であるアミーン・ジャアファリ医師のルーツであるベドウィン族だが、この小説が書かれた当時の現実問題として、イスラエル軍としてベドウィンの兵士が駆り出されることがあった。

基本的にマイノリティーであり、ムスリム(ここは断定できない)であるベドウィンの人々は、イスラエルにおいて兵役を行う必要はなかった。しかし、彼らは真っ先に戦場に駆り出され犠牲になった。

勿論、自分の意思でないとは否定出来ないが、立場の弱いベドウィンの人々が戦場に駆り出されたことも想像出来る。こうした観点から観ると、アミーンはかなり恵まれていたのだろう。


こうした背景もあり、アミーンは自らのルーツを、半ば切り捨てる形でイスラエルユダヤ人と同化していくことが可能だったと思われる。

地位や名声、あるいは金銭的にも有り余る成功を手に入れたアミーンにとって、シヘムの行動は理解し難いものでしかなかったと思う。


しかし、シヘムにとってはその生活は地獄でしかなかった。

勿論、始めからそう思っていたわけではないと思う。

半ば自暴自棄になったアミーンに、ナビードが言った言葉が彼女に起こったことを上手く説明している。

ビードの言ったことを要約すると、人間はあるきっかけで全く物の見方が完全に変わり、今まで通りに物を見ることが出来なくなることがある、ということである。

シヘムにとっては、ずっと封印してきたはずの祖国への気持ちが徐々に大きくなり、何処かで弾けたということだろう。

そうなると、今も戦っている祖国の同胞たちを無視して自分は…という思いにとらわれるのは当然の流れである。


物語が後半に進むにつれ、アミーンはそういった価値観とさらに向き合うことになる。


彼女のルーツを追うことはアミーン自身のルーツを追うことにもなる。

ここからは是非、読んで頂きたい。


かなり重いテーマではあるが、大きな軸になっているのは夫婦や愛することについてなので、そこは普遍的なテーマなのかなと思う。


家族や夫婦など、同じ屋根の下に住んでても、決して相手は同じ尺度で物を見てるとは限らないということでもある。


そして、一番感じたことは、我々は酌量の余地もなく彼ら(シヘムなどのテロリスト)を断罪することが出来るのだろうか?ということである。

確かに、彼らのやっている行為には正当さもないし、庇う理由もなに一つない。

しかし、少なくとも彼らは仲間の死に心を痛め、その復讐の為に戦っている。


ニュースでは現在進行形でシリアなどで、国を追われた人々のニュースが報じられる。

痛みに鈍感な我々はどれだけ心を痛めて自分達の問題として観ることが出来ているだろうか?

アミーンに突きつけられる問題は我々に対する問題でもあると思う。


そして、もう一つ。

我々はこの憎しみの連鎖に加担してはいけないという事である。

暴力には暴力でしか帰ってこない。

当たり前の事だ。

誰かがその連鎖を断ち切らない限り終わることはない。

宗教がどうこうの話ではない、誰だって平和に暮らしたいはずである。


決して幸せな結末とは言えないが、最後の一文には恐らく著書の願いが込められている。

本当に心の底からそうやって生きられる世界を願っているのだろう。 

幼い子供たちが戦場に駆り出されるような世界はやっぱり狂っている。